「21番 D.960」は、限りなく美しい、2楽章など美の極北だと思う。31歳で亡くなる2カ月前に書かれたシューベルトの遺作。前年に書き終えた「冬の旅」は死の直前まで手を入れていたという。悲しくも妖しいまでの音楽である。
その「ピアノソナタ21番」を、協奏曲への編曲とはいえ久しぶりに聴く。
編曲した吉松さんは、田部さんの「ピアノソナタ21番」のCDを一聴して魅了され、自身の「プレイアデス舞曲集」を録音してもらい、「ピアノ協奏曲《メモ・フローラ》 Op.67」を書くことになった。その後「 シューベルトのピアノソナタ21番をピアノ協奏曲にしたらどうだろう」と不遜にも思いつき、これを田部さんへの誕生日プレゼントにしようとした。こんなことがプログラムノートに書かれており、藤岡さんとのプレトークでもその思い出話を披露していた。
昔から名手の演奏家が作曲家を触発し、新たな作品を生み出すことは往々にしてあった。まさにその現場に立ち会ったわけだ。
いや、なにはともあれ田部さんのピアノが素晴らしすぎる。田部さんのピアノは、低音の不気味なトリルから水滴が落ちるような高音まで、全域にわたり美しく鮮明、最初の一音で涙腺が崩壊してしまった。2楽章はずっと号泣、3楽章はオケを主導とした編曲だから立ち直り、4楽章は思いを断ち切ったような明るさが切ない。でも、ピアノを囲んでオケのメンバーが伴奏しているのを目にすると、シューベルトに「決して一人ではないんだよ」と話しかけているようにも思え、また落涙。
オーケストレーションは、ソロを邪魔しないよう注意深く書かれている。難点をあげれば、この曲に華やかな音色のグロッケンシュピールはないだろうと思ったが、控え目な使用だし、誕生日プレゼントだし、不遜な試みであったのだから許すべきか。
使用したピアノは、ベーゼンドルファー・ジャパンより提供を受けたModel 280VC、田部さんの暖かく柔らかい音を支えていた。
以下は、演奏会後の吉松さんのブログ。
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後半は、シベリウスの「交響曲第1番」。
「交響曲第1番」は、「フィンランディア」「4つの伝説曲」など幾つもの交響詩や「クレルヴォ」(合唱付き管弦楽曲)を作曲したあとに手がけた作品。音楽的な完成度は高く、美しいメロディが満ち劇的。しかし、思索的な後期の作品群に比べると曲の深みはもうひとつで、演奏機会も少ないのだろう。シティフィルは、藤岡さんの棒の下、いつもの熱演だった。
もっとも、前半の田部さんのピアノで完全に魂を抜かれ、ほとんど上の空で聴いていたけど。
会場のティアラこうとうは、形状がシューボックス型というが、正方形に近いせいもあるのか、低音がちょっとブーミー気味になる。分解能力にも少し難がある。ピアノの音は良く聴こえるし、舞台が近く感じるから、大規模なオケよりは比較的小編成の室内楽などのほうが合うのかも知れない。