2021/5/27 ノット×東響 ベルクとマーラー、そしてロット
2021-05-28




東京交響楽団 特別演奏会

日時:2021年5月27日(木)18:30
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:ピアノ/児玉 麻里
   ヴァイオリン/クレブ・ニキティン
演目:ベルク/室内協奏曲−ピアノ、ヴァイオリンと13管楽器のための
   マーラー/交響曲 第1番 ニ長調 「巨人」

 先週の22日とこの27日は、ノット×東響の特別演奏会と銘打って、いずれもノットが初挑戦するチャイコフスキーの「交響曲6番 悲愴」と、ブルックナー「交響曲6番」をそれぞれのメインプログラムに据えた。
 ところがノットの来日が遅れ、十分な準備時間が取れないためか、両日ともマーラーの曲に差し替えとなった。22日は「4番」に、27日は「1番」に、である。
 聞くところによると22日のための練習はわずか1日しか確保できなかったという。今回は余裕があったにせよ、当初プログラムに予定されていたリゲティの弦楽合奏曲は取り止めとなった。

 1曲目はアルバン・ベルクの「室内協奏曲」、シェーンベルクの50歳、ベルク自身の40歳の誕生日と、二人の20年にわたる交流を祝って創ったものらしい。1楽章は管楽器をバックにしたほぼピアノコンチェルト、2楽章はほとんどヴァイオリンコンチェルト、3楽章になってようやくドッペルコンチェルトとしての趣。各楽章は休みなく続けて演奏される。
 時間の経過を意識させるメロディも、心を落ち着かせる和音もない。断片が数珠繋ぎになったよう。ただ幾つかの音列が動機として扱われ、それが変奏されたり再現したりするせいか、あるいは音響が微細で変幻自在のニュアンスに富んでいるためか、情動がかなり刺激される。40分ほどの無調音楽を飽きることなく聴くことができた。不思議な感覚が残る音楽だった。
 ピアノの児玉麻里はケント・ナガノの奥様、児玉桃のお姉さん。ヴァイオリンのクレブ・ニキティンは東響のコンサートマスター。バックの管楽奏者を含めていずれも見事な演奏。もちろん、こういった曲を振るノットは、ブーレーズが創設したアンサンブル・アンテルコンタンポランの元音楽監督、お手のものだろう。

 2曲目がグスタフ・マーラーの「交響曲1番」。今では最もポピュラーなクラシック音楽のひとつで、言葉は悪いが手垢の付いた曲。しかし、ノットで聴くと意表を突かれるというか、イメージが転倒されるというか、新しいものに出会った、という驚きがある。その場で作品が出来上がっていくような錯覚にとらわれる。。
 ノットは事前にきっちり設計し、テンポや抑揚、内声部の強度や管・弦の按配、奏法にも厳しい要求を出していると思うが、本番では勢いと熱気を信じて当意即妙に動いていく。即興的な面白味がある。ノットはある意味やりたい放題やっているわけだが、ライブの時間の流れのなかでは妙に納得させられてしまう。とにかく聴いていていろいろ発見がある。
 ただ、東響は反応力と融通性があるけど、ノットの要求に応えきれないときもある。あるいは、ノットが過激すぎることもある。今回は管がずいぶん不安定だった。弦も14-14-12-10-8ではあったが大音量の管を支えきれず、薄さを露呈した部分もあった。ノットとの関係がこの間、断続的で間遠になっていることが原因しているかも知れない。久ぶりの監督のもとで張り切り過ぎてバランスや美しさが犠牲になった?
 今回の「1番」の演奏で印象的だったのは、あのハンス・ロットのスケルツォをそのまま引用した2楽章、まさに若者の順風満帆な歩みが現出したよう。それと3楽章、カロ風葬送行進曲の中間部、ちょっと通俗的なメロディの節回し。そうそう最終楽章、コーダの少し手前、煉獄のなかで第1楽章の春さなかの鳥たちを回想するところ、こんなにしみじみと心に響いたのは初めての経験だった。

 生の面白さは限りなかったが、ノットの知性と情熱に幻惑されたのではないか、との疑念もある。この演奏が本当に身体に刻み込まれるかどうかは、もう少し時間が経たないとはっきりしない。

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