第4楽章「断頭台への行進」、激しい音楽を奏でる。打楽器群はもちろん、木管・金管のキレがとてもいい。バスーンは福士、福井、トランペットは澤田、佐藤のいずれもトップ二人が舞台にのっていた。
第5楽章「サバトの夜の夢」は魔女の饗宴。スダーンがつくりだした音楽の底知れなさといったら並みじゃない。各楽器ひとつひとつから醜悪な音を引き出してくる。地獄の鐘が鳴り、怒りの日が炸裂し、最後は狂乱のうちに幕を閉じる。
やはり、スダーンと東響は、いまだに最強コンビと知る。
ベートーヴェンも標題付の「交響曲6番」を書いたが、これは自然描写っぽい。「幻想交響曲」は音楽によって物語を進め心理を描く。作者が語った固定観念(イデー・フィクス)は、ワーグナーのライト・モチーフそのもの。「幻想交響曲」は声楽のない楽劇ともいえる。音による描写力は凄まじい。
楽器をみるとハープやコルネット、コーラングレ、E♭管クラリネット(エス・クラ)などは交響曲で初めて用いられたのではないか。普通、楽器とはみなされない鐘まで動員されている。テインパニは2組、舞台外にも楽器を配置するという斬新さである。
奏法も弦楽器の弦を弓の棹で叩くコル・レーニョや、木管楽器で音を滑らかにつなげるポルタメント、マレットでシンバルを叩くなど、特殊奏法を駆使し、演奏方法の大幅な拡大を実現している。
ベートーヴェンの「交響曲第9番」の完成から5年後、革新的な「幻想交響曲」が出現したことによって、どれほど器楽曲の可能性が拡がったか計り知れない。
ベートーヴェンの交響曲の衣鉢を継ぐシューベルトからブルックナーまで、このベルリオーズの管弦楽法と物語性は、あからさまに表面化することがないけど、“新しい交響曲”を目指したマーラーに受け継がれ、さらにはショスタコーヴィチへと及んで行く。
「幻想交響曲」は人気曲である。過去何度出会ったのか数えきれない。ただ、しばらくの間は、漫然と聴いていたような気がする。それがあるときフルネ×日フィルの演奏に度肝を抜かれてから集中できるようになり、どんどん面白く聴けるようになった。フルネの「幻想交響曲」はこのときが初めてで、それも手兵の都響ではなく日フィルというのが可笑しい。後年、フルネ×都響との「幻想交響曲」も3度ほど聴いているが、ついに日フィルとの演奏を凌駕することはできなかった。そのくらい衝撃を受けた。
ここ数年でいえば、これも珍しい組み合わせで、エッティンガー×東響の変態的な演奏と、川瀬が母校を振った至極まともな演奏が、ともにすこぶる面白かった。これに今日のスダーン×東響が加わったようだ。
とにかく「幻想交響曲」は、新奇なものが一杯詰まっていて、聴くたびにその新しさが弾け出して来るのだろう。
今日の演奏の模様は、ニコニコ動画で無料ライブ配信をした。見逃し配信(タイムシフト)も可能だと思う。
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