2021-09-26
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第82回
日時:2021年9月26日(日)14:00
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ユベール・スダーン
共演:メゾソプラノ/加納 悦子
演目:フランク/交響詩「プシュケ」より
第4曲“プシュケとエロス”
ショーソン/愛と海の詩
ベルリオーズ/幻想交響曲 op.14
秋の午後、愛をテーマにしたフランス音楽のひととき。
久しぶりにユベール・スダーンを聴く。スダーンも75歳。歩く姿など足腰が不自由には見えないが、指揮台ではコントラバス奏者が用いるような高椅子に座った。
今日のコンマスはニキティン。サブはこの9月から新たに東響のコンマスに就任した小林壱成が務めた。小林さんは演奏中笑みもこぼれ、弦の各パートとも目くばせをして十分にリラックスしている。これから先が楽しみだ。
最初はフランクの交響詩。もとは合唱付きの1時間ほどの曲。管弦楽のみの抜粋版もあって、ここから第4曲目の10分ほどの「プシュケとエロス」を取り出したもの。
一聴してワーグナーの影響は歴然としているけど、ワーグナーほどの押しつけがましさはない。半音階が頻出しても、妖艶、官能的というよりは清楚で清潔な感じがする。木管が活躍し、名手ぞろいの東響にはぴったり。
二曲目はフランクに学んだショーソンの歌曲。3部構成で「水の花」「愛の死」という歌と歌の間に、器楽のみの短い「間奏曲」が挟まれている。ソリストはアリス・クートが来日不能となり加納悦子に変わった。
加納さんはすでにベテランと言っていいと思うが、衰えはみられない。しなやかで会場いっぱいに伸びやかな声が通って行く。オケも「水の花」におけるミュート付のトランペット、「間奏曲」のバスーン、「愛の死」のチェロなど美しい音でサポートする。
この「愛と海の詩」も19世紀末に書かれているから、とうぜんワーグナーの影響圏にあるものの、ずっと繊細で叙情的。ほの暗い情感が漂うところなど以前聴いたベルリオーズの「夏の夜」の残像がチラチラする。これを聴いていると、後年の歌曲、ドビュッシーはもちろん、R・シュトラウスへの道筋も見えてくるような気がする。
休憩を挟んだ後半は、ベルリオーズの「幻想交響曲」。
「幻想交響曲」は、女優スミスソンへの激しい恋情が切っ掛けとなって作曲された。ベルリオーズ自身が記したプログラムノートには、“病的な感受性と想像力に富んだ若い芸術家が、恋に絶望しアヘンによる服毒自殺を図る。しかし、致死量には足りず、彼は重苦しい眠りの中で奇怪な幻想を見る。その中で感覚、感情、記憶が彼の病んだ脳の中に観念となり、そして音楽的な映像として現れ、愛する人が旋律となって、まるで固定観念(イデー・フィクス)のように、そこかしこに現れてくる”と書かれていた。
スダーンの「幻想交響曲」は、じっくりと腰を据えた、細部まで彫琢し尽くした演奏。
第1楽章は「夢―情熱」との題がついている。ラルゴだから当たり前だけど、序奏の遅いこと、音量も極限まで絞ってスタートした。この不安定で長い序奏が先行きを暗示するようだ。序奏の終わりでのホルンの強調に目頭が熱くなる。主部で固定観念(イデー・フィクス)が現れ、言い知れぬ焦燥感のなか行進曲風の楽想を経て、混乱のまま終わる。
第2楽章は「舞踏会」、全体がワルツ。ときおり固定観念が顔を出す。スダーンは夢見るようなやさしさと不気味さを綯交ぜにして描いて行く。
第3楽章は「野の風景」、コーラングレと舞台裏のオーボエとの対話。最上さんのコーラングレの見せ場。静かな野の風景の遠くから雷鳴が聴こえてくる。ここでのベルリオーズは2組のティンパニを4人の奏者で叩たかせるという破天荒ぶりを発揮する。
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