2022/7/29 井上道義×読響 「告別」とブルックナー「交響曲第9番」
2022-07-30




フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2022
 読売日本交響楽団

日時:2022年7月29日(金) 19:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:井上 道義
演目:ハイドン/交響曲第45番「告別」
   ブルックナー/交響曲第9番(ノヴァーク版)


 今年のサマーミューザの大一番、井上×読響のハイドンとブルックナー。客席はほぼ埋まっていた。
 井上にとって特別の作曲家であるハイドンの「告別」とブルックナー最後の「交響曲第9番」との組み合わせは、再来年末に引退を表明している井上のメッセージだろう。

 最初は、ハイドンの「告別」。
 指揮台を置かず、タクトも持たない。いつも以上に表情豊かな指揮ぶり。8-6-4-4-2の小型編成だからオケとの会話が一層微笑ましい。
 4楽章の、件のアダージョの部分になると、オケのなかに入って踊る。踊るというか、歩き回り、天を仰ぎ、譜面台に顔を伏せ、観客を笑わせる。照明がだんだん落とされ、奏者が一人二人と持ち場を離れ、舞台から降りていく。
 パイプオルガンの前には大きなスクリーンが設置されていて、そこに読響メンバーの普段着の写真がつぎつぎと投影される。最後にはコンマスの日下紗矢子とVn.2の首席が、演奏しながら暗くなった舞台袖へ消えていく。
 この曲、井上のプレトークによると、「告別」という標題がよくないそうな。「休暇申請」あたりが相応しいという。疾風怒濤の開始から瞑想的な緩徐楽章、メヌエットと続く演奏はもちろん、最終楽章の演出にお客さんは大いに沸いた。

 休憩後、ブルックナーの未完成交響曲。
 師匠のセルジュ・チェリビダッケの影響か非常に遅いテンポ。第1楽章だけで30分、全曲通すと60分を優に超え、70分近くかかったのではないか。とにかく悠然と焦らず急がず。といって、これ見よがしの見得を切るところはない。剛毅でなく柔らかい。ティンパニのマレットもかなり軟性のものを使っていた。
 とくに第1楽章などは緩いくらい。井上も老いたか、との感想がちらりと横切る。第2楽章はノットように鋭くなく、3楽章は大野のように不協和音を強調しない。どちらかというと、ドイツ・オーストリア音楽の終焉に向かう曲として解釈する最近の傾向よりは、ひと昔前の、ドイツ・オーストリア音楽が辿り着いた頂点としてのブルックナー。
 それでも第2楽章のスケルツォは、井上のリズム感が横溢し流れがよくなり、第3楽章は、深く沈潜しつつ心に沁みる音楽となっていた。大野のように人生の最期において苦悩し燃え尽きるような音楽でも、ヴァントとのように枯れた恬淡とした音楽でもない。雄渾で重層的でありながら透明感を失わず、音楽に抱かれるような演奏になっていた。

 読響はさすがである。ブルックナー演奏の歴史からして違う。16型の最大編成でありながら、スケルツォにおけるピチカートの音色の相違、アダージョにおけるアップボウ、ダウンボーの対比の見事なことなど、とりわけ弦5部が素晴らしかった。
 ヴィオラのトップは柳瀬省太、チェロは遠藤真理のようだったが、なんといって日下紗矢子の存在が圧倒的。日下さんがのる日は音が変わる。金管の大音量のなかでも弦5部を奮い立たせ、各パートの役割を明確に浮かび上がらせる。Vn.1が総奏していても彼女の音が聴こえる。多分、計測できないにせよ誰よりも一瞬早く弾き始めている。弦の奏者たちは安心して彼女の音について行ってるはず。ほんとに名コンサートマスターである。

 井上はブルックナーを読響とやりたいと公言していた。2019年だったか、同じフェスタにおいて「8番」を取り上げ、忘れられない名演を披露してくれた。そのあと芸術劇場で「7番」を、そして、今回の「9番」である。読響とのブルックナーはこれで最後になりそうだが、本人もいうように「何事も終わりがある」。あと2年少々、彼のブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ、伊福部などは機会をみて追っかけてみようと思っている。



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