2024-06-29
東京都交響楽団 都響スペシャル
日時:2024年6月29日(土) 14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:ヤクブ・フルシャ
演目:スメタナ/歌劇「リブシェ」序曲
ヤナーチェク/歌劇「利口な女狐の物語」大組曲
(フルシャ編曲)
ドヴォルザーク/交響曲第3番 変ホ長調op.10
久しぶりにフルシャが都響に帰ってきた。7年ぶりだという。都響の首席客演指揮者のときには、それほど熱心な聴き手ではなかったが、プラハフィルとの来日公演は印象に残っている。今はバンベルク響の首席指揮者として活躍中、次期ロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督にも決まった。今日は彼の出身地チェコの作家を集めたプログラム。
スメタナの歌劇といえば「売られた花嫁」が飛びぬけて有名で、序曲もこれ以外は知らない。ヤナーチェクの歌劇は全く不案内、「タラスブーリバ」「シンフォニエッタ」「グラゴルミサ」のほかは馴染みがない。ドヴォルザークの初期交響曲はCD全曲集の記憶のみ。だから、実演となると3曲とも初聴き。
「リブシェ」は祝典オペラらしい。野外劇を想定して書かれているのかも知れない。はじまりは金管のファンファーレ、木管が引き継ぎ、スメタナらしい弦の親しみやすいメロディが続く。演奏会のオープニングとしては華やかで気に入った。もっと演奏機会があっても良さそうに思う。
「利口な女狐の物語」大組曲はフルシャ自身が編曲したもの。ほかに指揮者のターリヒやマッケラスなども組曲を編んでいる。ヤナーチェクの音楽は蔦が絡みながら生長して行くように、独特の展開と動きをみせる。ミニマル・ミュージックの原型かとも感じるが、劇的でクライマックスの盛り上がりも相当なものだから、クールなミニマル音楽を連想するのは間違っているのかもしれない。
オペラの進行順に編んだフルシャの大組曲は40分くらい。半分は第1幕から、残りの半分が2幕と3幕から採られた音楽だった。フルシャ×都響は劇を目の前にするかのごとくエネルギーにあふれ、目の詰まった充実した音楽を繰り出し楽しませてくれた。
「交響曲第3番」は、ドヴォルザークがヨゼファ・チェルマークとの初恋に破れ、ヨゼファの妹であったアンナを妻として迎え入れた頃の作品。音楽全体にその喜びが満ちている。ドヴォルザークという人は、その時々の個人的な感情がどの作品にも素直に映し出されているように思う。
「交響曲第3番」はドヴォルザーク唯一の3楽章形式。オケの規模も感情の振幅も大きい。第1楽章は、ティンパニのソロから始まり、スケール感のある第1主題のあと、下行音型の第2主題が続く。曲はほの暗さを挟みながら段々と高揚し、最後はティンパニが連打するなか畳みかけるように終わる。
第2楽章は、弦楽器がもの悲しい旋律を奏で、木管楽器の合いの手、ホルンの哀切に満ちた節回しが胸を締めつける。中間部はハープの調べを合図に行進曲風に変転し、心躍る音楽となる。巧妙な転調に背筋がぞくっとする。ドヴォルザークはワーグナーに心酔し、ブラームスに才能を見出され、シューベルトと並ぶ歌謡性が魅力とされているが、ここはむしろブルックナーとの類似を考えたくなる。
第3楽章は、ティンパニの強打ではじまり、踊りのときの躍動感にあふれた音楽が疾走する。終楽章であってもスケルツォ的な要素がある。ピッコロが印象的なアクセントを打ち、終結はファンファーレが鳴り響き晴れやかに閉じる。ここでも音楽はブルックナーに近似してくる。
ドヴォルザークの後期交響曲を聴いてブルックナーを思い浮かべることなどまずないが、30歳そこそこで書いたこの交響曲のなかでは同時代の作家の影がチラチラと見え隠れする。
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