2025/6/28 ボレイコ×新日フィル ショスタコーヴィチ「交響曲第11番」
2025-06-28




新日本フィルハーモニー交響楽団
 #664〈サントリーホール・シリーズ〉

日時:2025年6月28日(土) 14:00開演
会場:サントリーホール
指揮:アンドレイ・ボレイコ
共演:ピアノ/ツォトネ・ゼジニゼ
演目:ストラヴィンスキー/ピアノと管弦楽のための
             カプリッチョ
   ショスタコーヴィチ/交響曲第11番ト短調
             「1905年」


 ストラヴィンスキーには2曲のピアノ協奏曲があるという。プログラムノートによると、ひとつは「ピアノと管楽器のための協奏曲」、そして、もうひとつがこの「ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ」。2曲とも聴いたことはない。音盤を持っていないし、実演も初めて。
 「カプリッチョ」はストラヴィンスキーが新古典主義時代の作品、ドライな音楽で反ロマン的といったらよいか、ピアノが打楽器のように活躍する。ストラヴィンスキーの特質であるリズムと音色と音響は健在であるが、情感に訴えることや歌い上げることはしない。軽快な曲運びは好ましいけど、正直あまり面白い曲ではない。プレスト、ラプソディコ、カプリッチョーソの3つの楽章が続けて演奏された。
 ソリストは日本でいえば高校生のツォトネ・ゼジニゼ、ジョージア出身で作曲もするらしい。音楽の世界では昔から早熟の異才が現れる。「カプリッチョ」が20分程度の短い曲だったせいかゼジニゼはアンコールを3曲も披露した。3曲とも自作だと知ってびっくり。

 ショスタコーヴィチの「交響曲第11番」は10年ほど前のラザレフ×日フィルが基準となっている。井上、沼尻、角田、インバル、カエターニなど聴いたが、ラザレフは別格である。今では「第11番」は劇伴音楽として聴けばいいのではないかと冗談もいえるけど、当時は恐怖と混乱がしばらく尾を引いた。いまだに「第11番」の演奏会になると身構えてしまうのはその後遺症が癒えていないためだろう。
 別名「1905年」、ロシアにおける「血の日曜日事件」を描く。帝政ロシア末期、貧困と飢餓に苦しむ人々はサンクトペテルブルグの宮殿前広場に集まった。その民衆に向かって軍隊が発砲し、数千人の死傷者を出す大惨事となる。これが共産主義国家ソヴィエト連邦成立の遠因となった。
 第1楽章「宮殿前広場」、ハープが鳴り、陰鬱な雰囲気の主題が提示され、ティンパニとトランペットの不気味な呟きへと引き継がれる。その上を幾つかの革命歌の旋律が流れる。帝政ロシアの圧政、重苦しさが漂う。ボレイコは音圧を絞り抑圧的な音響で緊張感を高めていく。
 第2楽章「1月9日」、民衆が行進をはじめる。変奏と変拍子が次第に緊迫の度合いを増す。前楽章の主題が鳴り渡ると、突然、スネアドラムを筆頭に打楽器の連打となる、民衆への無差別の銃撃。広場は阿鼻叫喚の地獄となる。ボレイコの描写力は過たない。大音響が止み身動きする者は誰もいない。その不気味な静寂と惨状。
 第3楽章「永遠の記憶」、重々しいしいピチカートに乗って、ヴィオラが革命歌を奏でる。葬送行進曲である。ボレイコはヴィオラの音量を抑える。弔いの鐘のような金管の呻きは慟哭というしかない痛切な叫びとなる。音楽はやがて力尽きるかのように沈黙する。
 第4楽章「警鐘」、決然とした金管楽器の動機は民衆が蜂起する様だろう。ここでも革命歌が引用され、イングリッシュホルンの調べに泣かされる。ボレイコは力任せではなく、むしろ追憶としてのイングリッシュホルンの旋律に焦点をあてた。最後は全管弦楽の強奏のなかで鐘が激しく打ち鳴らされる。このとき普通はチューブラーベルという管状の鐘を何本もセットした楽器が使われるが、今回は金属板をぶら下げたツリーチャイムを鳴らした。楽器の挙動は多少不安定ながら異様な音と残響が鳴り渡った。この民衆のエネルギーともいうべき勇壮なフィナーレにおける鐘は未来へのまさに警鐘のようだ。

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